中世の武蔵国を駆け抜ける「武者の群像」

物語のはじまり

中世の武蔵国では、各地域で力を得た豪族たちが、互いに争うために武器をとり、名馬を駆って疾駆し、やがて無敵の勇者、 武蔵の武者が生まれ育った。当時、武蔵の国のほぼ中央に位置し、水陸の便が良い「河越」(現-川越市の北部地域)に荘園 を開き、居宅を構えた「河越氏」の活動は瞠目すべきものがあった。
その一族の力は、まだ住む人もまばらな草原や湿原だった江戸郷(現-東京都の東部地域)に及び、「江戸氏」を唱えて周辺を 支配した。かれらは武蔵の国を駆け抜け、さらに西国にまで出陣して戦いを交えた。
鎌倉幕府が成立して、一族の活躍の舞台は、武家社会の核心となった鎌倉に移り、平安時代の末頃始まった「河越氏」の 活動は、つづく鎌倉時代を経て、室町時代初期に至る。ほぼ三百五十年にも及ぶ。
また「江戸氏」の活動は、それより七、八十年遅れて始まったが、室町時代中期まで、戦乱の巷となって荒れる武藏の国で、 ほば三百年もの間継続したとされている。
中世の記録には、不明、不正確なものが多いが、江戸氏による江戸郷の支配は、長禄元年(1457)、現・川越と現・東京の 中央に同時に川越城、江戸城を築いた太田氏一族の活動と交代するまで続いたようだ。武蔵国の歴史上で、両氏の治世は、 忘れてはならない歴史の一齣である。
川越城、江戸城は、その後北条氏の手に渡り、つづく豊臣秀吉の占拠を経て、徳川家康の江戸時代に移ったのであるが、 徳川一族は、新たな構想をもって江戸城を築城し、さらに城下に、人心が豊かな大都市「江戸」を作り上げたのである。

ここで、物語り:-中世の武藏国を駆け抜けるー「武者の群像」を始めることにしたい。

目 次

1.河越から江戸へ
2.豪族と武者の群像
3.平氏の起源と源平の争い
4.鎌倉幕府の成立と変転
5.鎌倉街道を行き交う武士たち
6.室町幕府の発足と南北朝
7.室町幕府の発展と衰退
8.太田氏、川越城と江戸城を同時に築城
9.聖護院門跡が廻った中世の道
10.上杉の重臣・大石氏の築いた中世の城郭
11.江戸城と川越城は北条氏の手中に    …つづく

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編集人:市民フォーラム

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